utahakataru_202107

楽曲 小鳥の歌
与田準一 作詞  芥川也寸志 作曲

小鳥はとっても 歌がすき
母さん呼ぶのも 歌でよぶ
ピピピピピ
チチチチチ ピチクリピイ

小鳥はとっても 歌がすき
父さん呼ぶのも 歌でよぶ
ピピピピピ
チチチチチ ピチクリピイ

この小鳥さんは誰でしょう。
おうちで飼われている小鳥さんの気がします。
ピピピピピ チチチチチ ピチクリピイ がひらがなで表記されているのもあります。
まず歌ってみましょう。
どんなお顔で歌っていますか。
笑顔でしょう?
1952年発表の童謡です。

作曲家芥川也寸志氏は芥川龍之介の三男。長兄比呂志、次兄多加志。
与田氏より20年あとの1925年に生まれ1989に亡くなっている。
管弦楽から合唱曲から放送音楽から舞台音楽から器楽曲から童謡他と多岐にわたって作曲家として活躍、
並んでお話も書き物も重ねて言わせていただけば容姿も人をひきつけられた方。
1950年発表の♪きゅっきゅっきゅうとくつをみがこうとよく歌った「きゅっきゅっきゅう」という相良和子作詞の曲もこの方のもの。


与田準一氏は福岡山門の生まれ。「山門」!?こう聞けばあれ、あの方とお知り合い?と推測なさるあなたは只者ではない!!
「山門」と書いて「やまと」と読む大好きな故郷を、「わが産土(うぶすな)」と歌い始め、
「故郷やそのかの子ら、皆老いて遠きに、何ぞ寄る童ごころ」と最後を収める「帰去来」の作者北原白秋、あのひと。

ご推察の通り、「赤い鳥」に投稿していた代用教員時代に北原白秋のお声がけで「赤い鳥」編者となるべく上京。
童謡のみならず、少年詩も、そして新美南吉など書き手に出版の機会をとも励まれた。

1905(M38)年6月25日生まれの氏は第2次世界大戦中故郷へ疎開、戦後42歳の時再び上京。
東京都三鷹市に住まわれ1997(H9)年2月3日91歳で亡くなられた。
「まりーちゃんとひつじ」など翻訳もなされ、日本女子大学児童科講師も勤められた。
岩崎京子、あまんきみこ、生源寺美子、宮川ひろの方々はその折の教え子と。

ちなみに、「ブルーシャトー」「ブルーライトヨコハマ」「銀河鉄道999」他多々ヒット曲の作詞者橋本淳氏はご子息、また娘さんはドイツ文学者であられると。