utahakataru_202109

夏休みの旅行とばかり思いこんでいました。
東大生の「私」は秋に旅をしているのでした。

何回も映像化され、ヒロインは売り出しの女優さん。
「私」はペアで売り出されます。
この作品の原本著作は川端康成。タイトルは「伊豆の踊り子」。

 道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。
 私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊まり、湯ヶ島温泉に二夜泊まり、そして朴歯の高下駄で天城を登って来たのだった。重なり合った山々や原生林や深い渓谷の秋に見とれながらも、私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。そのうちに大粒の雨が私を打ち始めた。折れ曲がった急な坂道を駆け登った。ようやく峠の北口の茶屋にたどり着いてほっとすると同時に、私はその入口で立ちすくんでしまった。あまりに期待がみごとに的中したからである。そこに旅芸人の一行が休んでいたのだ。

川端康成『伊豆の踊り子』


朗読教室で必ずテキストになる作品。男性の声でききたい。
学ぶ身としては、これがこの作品らしく音声化できると嬉しい。

この物語が歌になる。文芸歌謡と呼ばれる作品が作りあげられていった。
1928年1月1日、三浦三崎の海を眼下に、城ケ島に一飛びというような
高台にあるお寺様で生まれた三浦洸一氏が歌った。
黒柳徹子もともにいたという今の東京音大、当時の東洋音大で学ばれた。
端正な明るめなとてもいい声。艶のある錬れた声音はご自身のものだけでなく、代々のDNAかもしれず。

楽曲「踊子」
喜志 邦三 作詞 渡久 地政信 作曲


さよならも言えず泣いている
私の踊子よ・・・・・・ああ船が出る
天城峠で会うた日は
絵のようにあでやかな
袖が雨にぬれていた
赤い袖に白い雨・・・・・・

月のきれいな伊豆の宿
紅色の灯(ともしび)に
かざす扇舞すがた
細い指のなつかしさ・・・・・・

さよならも言えず泣いている
私の踊子よ・・・・・・ああ船が出る

下田街道海を見て
目をあげた前髪の
小さな櫛も忘られぬ
伊豆の旅よさようなら・・・・・・


作詞の喜志邦三氏(1898/M31/3/1-1983/S58/5/2)は大阪府堺市生まれ、甲子園口に長く居住された。早稲田大学英文科卒業後新聞社勤務。12歳ごろから始められた詩作によって号を「麦雨」とし抒情詩を発表し続けた。新聞社勤務の後、神戸女学院大学で詩学など講じられた。詩集や論評を多くものし、新進詩人の育成にも努められた。国民歌謡「春の唄」「お百度こいさん」もこの方の作。

作曲の渡久地政信氏(1916/T5/10/26-1998/H10/9/13)は沖縄恩納村生まれ。
1943年歌手デビューの後1951年作曲家デビュー。「お富さん」「島のブルース」
「湖愁」「ああ青春に花よ咲け」などヒット曲多数。