6月、7月の「語坊 踏踏」の各会も中止いたします。
ステイホーム!
新型コロナウイルス感染終息を祈願いたしつつ!
今、この歌はいかがでしょう。
何やら落ち着かない不安が押し寄せています。
肉体へのウイルス侵入は願い下げですが、その手立てとして、外出自粛をはじめ、
学校生活も自粛。
五月のゴールデンウイーク!?おわりまでが目安ですと。
ただただ一日も早い終息を祈念いたすのみです。
せめてマスク着用、手洗い、うがいはしっかりいたしましょう。
「めだかの学校」は戦後作られた作品です。
【茶木滋の略歴】
・明治四十三年一月五日、神奈川県横須賀市で生まれ本名は七郎。
・旧制中学三年生の頃から童謡や童話を作り始め、『赤い鳥』『金の星』などの雑誌に盛んに投稿していた。
・昭和六年、明治薬学専門学校(現・明治薬科大学)を卒業して製薬会社に就職。サラリーマンをしながらも雑誌などに童謡や童話を投稿したりして、詩作を続けていた。
・茶木一家は、昭和十九年に神奈川県小田原市万年町(現在の浜町)に疎開し、その後、箱根町宮城野に移り、移って約一週間後に万年町の家は、空襲で焼失。終戦の日の未明のこと。茶木は薬剤師で、小田原に疎開した製薬工場の監督に当たっていた。
・その後千葉県船橋市海神に住み、日本童謡協会、日本児童文学者協会、詩と音楽の会などに所属して詩作を続けた。童謡集に『とんぼのおつかい』『鮒のお祭』。
・平成十年十一月一日に亡くなりました。
<池田小百合なっとく童謡・唱歌(2011/09/01)より抜粋させていただきました>
戦時、めだかの泳ぐ小田原市郊外の荻窪の川辺をお子さんと歩いていたときの思い出を土台に作られたそうです。
そっとのぞいてみてごらん、誰が生徒か先生か、水にながれてつーいついの繰り返しやら、めだかの泳ぐようすは「すーいすい」でないし、
うーむとうなる日々が続き「つーいつい」の表現に行き着いたとか。
さりげなくこの時期、この風景が思い浮かぶ、まさに「日本の歌百選」の歌の代表格ですが、ご苦労や、また戦争疎開時のひと時の目に焼き付いた風景からの作品であることなど繙くと味わいが増します。
童謡といっても従来のものと一味違うなとの評があったそうですが、「歌のおばさん」方の歌唱と、教科書に載ったことなどからひろく歌われることとなったと研究者は述べています。
作曲の中田喜直氏はこの頃新進気鋭の若き作曲家であったそうです。
♪めだかの学校は・・・・・・・うたってあるきたいな。
楽曲 「めだかの学校」作詞 茶木 滋 作曲 中田喜直1
めだかの学校は川の中そっとのぞいて見てごらん
そっとのぞいて見てごらんみんなでお遊戯しているよ
2
めだかの学校のめだかたち誰が生徒か先生か
誰が生徒か先生かみんなで元気に遊んでる
3
めだかの学校はうれしそう水にながれてつーいつい
水にながれてつーいついみんながそろってつーいつい