語坊|ユファン

横須賀・三浦を中心に活動する朗読ユニット「語坊(ユファン)」のウェブサイトです。

2021年06月

昼が最も長く、夜が最も短い。
太陽暦では6月21日頃。
今年はドンピシャの 6月21日がその日。

で何故か「耳なし芳一の話」をお届けいたします。

なんとなくこのお話は御存知の方多いでしょう。
そして「訳」がいろいろ。

今回は「戸川明三」訳です。
「耳なし芳一」のある夜の出来事だけでなく、その周辺のようなものも語られている。
お聴き取り頂ければ幸いです。
さてさて・・・・・・

■耳なし芳一の話

何だかこの頃突然の大雨やらがおおくなってきました。

日本でも起きてきた地球温暖化の現象だとか聞きます。

「梅雨」らしいとはうけ取りにくい雨模様ではないですか。

前回は「カッパのお手紙」お届けいたしました。

カッパは雨のイメージでしたが、ちょっと変わったお話でした。

今回は「雨の日のお客様」をお届けいたします。

朗読ユニット語坊Aの筆になる作品です。

■朗読:『雨の日のお客様』

utahakataru_202106
歌劇「蝶々夫人」より ある晴れた日に
堀内敬三 訳   プッチーニ 作曲

ある晴れた日 遠い海のかなたに煙がたち 船がやがて見える
真白い船は 港に入り 礼砲を打つ 
御覧 あの人よ
だけど迎えにゃいかない

近くの岬に出て そこで あの人を待つのよ いつまでも
港の町を離れて 人の姿が山を登ってくる
あれはどなた?
登りつめれば 何をいうでしょう
遠くから「バタフライ」と呼ぶのよ
答えずに 私は隠れましょう
さもなけりゃ・・・・・・・
嬉しさに死ぬかもしれない

するとあの人は私を呼びます
「かわいい奥さんオレンジの花」ちょうど昔よく呼んだように
きっといつかこうなるの だから泣いちゃいやよ 
あの人は帰る  ほんとよ

歌劇の舞台は長崎で、ヒロイン蝶々さんのお相手はアメリカ海軍士官ピンカートン。
蝶々さん15才での出会い。うれしき楽しき生活は続かず彼は帰国してしまう。
3年後に戻ってきますが傍らには夫人。お別れです。
鎹のはずのお子はピンカートンの手元へ。
この後の蝶々さんいかがなったか、ずいぶんなお話ですが・・・・・・

アリアです。
蝶々さんが歌うのです。
高ーい声で。
♪あ~る はれたーひー
ピンカートンは帰ってくるわと、健気に待つ決意をし再び出会える場面を想像して、歌います。
その時の蝶々さん自身の心を。
夢中で、ありったけの思いを、ありったけの声で歌います。
「ある晴れた日に」は歌劇「蝶々夫人」の中からとりだされた一曲です。

訳詞の堀内敬三氏(1897.12.6-1983.10.12)は、浅田飴の堀田伊三郎氏の三男。工学博士。
ですが、洋楽の発展に尽力されました。訳詞、作詞作曲、評論、教育にと。
訳のついた耳なじみの曲には、「春の日の花と輝く」「眠りの精」「遠き山に日は落ちて」「私の青空」等々。あの美しい「冬の星座」は作詞です。この作曲者はウイリアム・シェイクスピア・ヘイスで、この方は1837年に生まれ1907年に亡くなっています。

プッチーニについても一筆。
「蝶々夫人」の作者プッチーニはジャコモ・アントニオ・ドメニコ・ミケーレ・セコンド・マリア・プッチーニといい1858年12月22日生まれ、1924年11月29日亡。癌によりと記されています。
イタリアのオペラ作家。「ラ・ボエーム」「トスカ」「トゥーランドット」他有名です。
お写真からは、口髭を蓄え、髪型はオールバック、ダブルのスーツで、ザ・イタリアを感じます。
初代がトスカーナのチェッレからルッカに移住。後、宗教音楽家を輩出。
五代目の彼は14才で教会のオルガニストとなりましたが後オペラに魅入られ力を注いだ。
今、ルッカにある彼の生家はプッチーニ博物館になっているそうです。

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