語坊|ユファン

横須賀・三浦を中心に活動する朗読ユニット「語坊(ユファン)」のウェブサイトです。

2021年07月

球場の広々とした芝の緑。
ほんのり湿気を含んだ朝の空気と相まってのびやかな心地。

アレー黒い点々ナーニ?

鳥がいっぱいあちこちに散らばり草に頭をつっこんでは次へ進む。
みんながそうしている。
見惚れる。

あれはムクドリだ。

「むくどりのゆめ」という絵本を思い出す。
とてもきれいな茄子紺を基調としたムクドリたちが描かれていた。
物語の優しさとワクワクドキリ感でよく読んだ。
「読み聞かせには向かないのですよね、こういう細かい絵は。遠くからはっきり見えないから」なんても聞いたけれど。
現実のムクドリにも驚いた。
色のちがい、行状に。
軒下のどこからか入って巣をつくり住み手にとってはお邪魔鳥・・・・
キャベツ畑に来ては「よしよし、いざ出荷」とおいしくできあがったキャベツの真ん中に穴をあける。
となりのキャベツもそのとなりのキャベツにも。
出来上がったおいしい食べごろ知っているのだね。
農家さんは大弱り。

でもねやっぱりムクドリ君、いてくれてありがと。
お話も聞けたし、絵も堪能したし、仲よしさんも生まれました。
何本もの電線にズラーーーーーーっと並ぶ光景は壮観です。
ぱしっと手を打つと、一斉にさーーーっと飛び立たつみんなに「わーい」なんてはしゃぎもしたけれど、あの時はあれから何処へ皆行ったのかしら。

こんなこと思っている日々。
「平和の祭典」がもうすぐ始まる。
安心、安全、平和、令和とかいいつつ、ことば遊びも本気だ。
来春には梅花の宴が開けますよう。
朗読ユニット「語坊」の朗読会も。

祈っているのは「平安」。


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楽曲 小鳥の歌
与田準一 作詞  芥川也寸志 作曲

小鳥はとっても 歌がすき
母さん呼ぶのも 歌でよぶ
ピピピピピ
チチチチチ ピチクリピイ

小鳥はとっても 歌がすき
父さん呼ぶのも 歌でよぶ
ピピピピピ
チチチチチ ピチクリピイ

この小鳥さんは誰でしょう。
おうちで飼われている小鳥さんの気がします。
ピピピピピ チチチチチ ピチクリピイ がひらがなで表記されているのもあります。
まず歌ってみましょう。
どんなお顔で歌っていますか。
笑顔でしょう?
1952年発表の童謡です。

作曲家芥川也寸志氏は芥川龍之介の三男。長兄比呂志、次兄多加志。
与田氏より20年あとの1925年に生まれ1989に亡くなっている。
管弦楽から合唱曲から放送音楽から舞台音楽から器楽曲から童謡他と多岐にわたって作曲家として活躍、
並んでお話も書き物も重ねて言わせていただけば容姿も人をひきつけられた方。
1950年発表の♪きゅっきゅっきゅうとくつをみがこうとよく歌った「きゅっきゅっきゅう」という相良和子作詞の曲もこの方のもの。


与田準一氏は福岡山門の生まれ。「山門」!?こう聞けばあれ、あの方とお知り合い?と推測なさるあなたは只者ではない!!
「山門」と書いて「やまと」と読む大好きな故郷を、「わが産土(うぶすな)」と歌い始め、
「故郷やそのかの子ら、皆老いて遠きに、何ぞ寄る童ごころ」と最後を収める「帰去来」の作者北原白秋、あのひと。

ご推察の通り、「赤い鳥」に投稿していた代用教員時代に北原白秋のお声がけで「赤い鳥」編者となるべく上京。
童謡のみならず、少年詩も、そして新美南吉など書き手に出版の機会をとも励まれた。

1905(M38)年6月25日生まれの氏は第2次世界大戦中故郷へ疎開、戦後42歳の時再び上京。
東京都三鷹市に住まわれ1997(H9)年2月3日91歳で亡くなられた。
「まりーちゃんとひつじ」など翻訳もなされ、日本女子大学児童科講師も勤められた。
岩崎京子、あまんきみこ、生源寺美子、宮川ひろの方々はその折の教え子と。

ちなみに、「ブルーシャトー」「ブルーライトヨコハマ」「銀河鉄道999」他多々ヒット曲の作詞者橋本淳氏はご子息、また娘さんはドイツ文学者であられると。

皆様いかがお過ごしでしょうか。

20210701_3木の葉が散るように ひらひらひらひらと4羽が舞い降りてきます。
緑のくさはらにちょちょんと着地。
ととととと歩いては草の根の中にくちばしを突っ込む。
ひょいと首をもたげては小首をかしげるようにしながら辺りを見回す。
ひらひらひらひらと散り落ちてきた葉っぱのような小雀達4羽がそうするのです。
大きさを具体的にいえばウインナソーセージ。
手品師がギュッと掴めば消えること確実な小ささ。
小耳にはさんだところでは、雀は10日間しか親には育てられず、後は子雀どうしの群れで育っていくとか。


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雀だけでなく、こげらの子の群れを見ました。
始めて。
あの黒白の縞ような羽模様のキツツキの小さい版がやはり5,6羽群れになって飛び、こちらは木の幹に親キツツキよろしく縦に止まる。
驚き。
からすの子たちが2,3羽で飛び遊ぶのも見ます。
この前まではつばめが親子でよく飛んでいました。

3月2日から鳴きだした鶯はまだ鳴いています。
時にあっちとこっちで鳴いていましたが、今は又一羽の声しか聞こえません。
同じ鶯かはわかりませんけれど。
鶯は今頃まで平地にいて、暑くなると山に登り繁殖とあいなるらしい。
20210701_2夏山登山の折聞く、ホーホケキョの一声は、一服の清涼剤なのだとか。
この、山で鳴く頃の鶯は「老鶯」といわれ、平地にいる時より良い声なのだとか。
何年か前、竹林に鶯の宿があるらしく、夕方散歩の折には驚きの数の鶯に何回かで会いました。
一族のような感じでしたが、平地で子育てしないと聞けばあれはどなた?10羽くらいいたような。

「鶯の宿」「見るなの座敷」などの題名を持つ作品がありましたね。
そのうちお聞かせいたしましょう。

 


まだライブは無理なようです。
それにしても、時はきっちりと流れるのですねえ。
7月がやってきました。

無事息災をお祈りいたします。
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