語坊|ユファン

横須賀・三浦を中心に活動する朗読ユニット「語坊(ユファン)」のウェブサイトです。

カテゴリ: 歌は語る

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エーデルワイス

坂田寛夫 訳詞  リチャード・ロジァース 作曲

 

エーデルワイス エーデルワイス 可愛い花よ

白い 露に 濡れて咲く花

高く 青く 光る あの空より

エーデルワイス エーデルワイス 

明るく匂え

 

エーデルワイス エーデルワイス ほほえむ花よ

かなしい心 慰める花

はるか アルプスの峰の 雪のように 

エーデルワイス エーデルワイス

かがやけ とわに

 

一面真っ白く積もる大雪のたよりにそして日脚が伸び桜のたよりと小鳥のさえずり。

今の季節にはこれと思い浮かび選んだものの、エーデルワイスの開花季節は7月中旬から八月中旬と聞きます。

"ははは"ですがお届け。

エーデルワイスは和名ではドイツ語カタカナ書きでエーデルワイス。

スイスの3大名花の一つですと。

ちなみにバラ色をしたつつじの仲間のアルペンローズ,青紫色のリンドウの仲間を総称してのリンドウそしてこの白いエーデルワイスがスイスの3大名花とのこと。

エーデルワイスはドイツ語で「高貴な白」の意味。

日本の高山植物のウスユキソウの仲間。

ついでに花言葉ですが思いやり、博愛、優美などを表す言葉となっており「大切な思い出」「高潔な忍耐」「奥ゆかしい美しさ」など。

さて

この原曲の作詞はオスカー・ハマーシュタイン。

1959年ミュージカル「サウンドオブミュージック」の最後に歌われ、オーストリア愛を表現した曲として広まりました。

国歌でしょと思っている方も多いそうです。

日本では教科書に載って学校で歌われたことからもポピュラーになりました。

実はこの書き手は本物見たことありません。

結構丈夫そうな植物だそうです。

高山の過酷な地で美しく咲く。

なんとまあ!そうなのか!

ところで

何方が決めたか2月のある日の誕生花としてエーデルワイスがありましたこと末筆に加えさせていただきます。

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長崎の鐘

作詞:サトウハチロー 作曲:古関裕而

 

こよなく晴れた青空を 悲しと思う切なさよ  うねりの波の人の世に はかなく生きる野の花よ

慰め励まし 長崎の ああ 長崎の鐘は鳴る


召されて妻は天国へ 別れて一人旅立ちぬ かたみに残るロザリオの 鎖に白きわが涙

慰め励まし 長崎の ああ 長崎の鐘は鳴る


つぶやく雨のミサの音 たたえる風の神の歌 輝く胸の十字架に ほほえむ海の雲の色

慰め励まし 長崎の ああ 長崎の鐘は鳴る


こころの罪を打ち明けて 更け行く夜の月澄みぬ 貧しき家の柱にも 気高く白きマリア様

慰め励まし 長崎の ああ 長崎の鐘は鳴る

 


1945年8月9日11時2分長崎に原爆が投下されました。
そして被災後の長崎は。

長崎医大診察室で診察中に被爆した永井隆博士の書「長崎の鐘」に詳しい。
この書は永井博士が被爆時、右側頭部動脈からの出血という怪我を受け、幾度倒れても1946年1月まで救護活動に身を賭してはしり、ついに病の床に伏せざるを得なくなって後「それにもかかわらず」、「それでありながら」ともいう中で書かれたものです。

♪「長崎の鐘」は この書を、貼り絵の山下清の才能を発見し世に紹介した精神科医式場隆三郎博士が日本コロンビアに紹介、完成に至ったとのことです。1949年7月のことでした。

「アンジェラスの鐘」と呼ばれていた「長崎の鐘」は浦上天主堂にあったもの。2つあったひとつは消え一つが土中から見つかったそうです。

 

抜けるような青空と、焦土と化した死体累々の地。血をながしつつ救助に走る人々。
澄んだ夜空に浮かぶ月と雲。また雨、海。
その悲嘆と鎮魂、にもかかわらず慰め励まし再起を願う人の心のありようがはっきりと歌われて
ひなひなとなりがちな心に染みていきます。

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お猿のかごや
山上 武夫 作詞  海沼 実 作曲

(一)
えっさえっさ えっさほいさっさ
お猿のかごやだ ほいさっさ
日暮れの山道 細い道
小田原提灯 ぶらさげて
ソレ やっとこどっこいほいさっさ
ほーいほいほい ほいさっさ
(二)
えっさえっさ えっさほいさっさ
この葉のわらじで ほいさっさ
お客はおしゃれの コン狐
つんとすまして 乗っている
ソレ やっとこどっこいほいさっさ
ほーいほいほい ほいさっさ
(三)
えっさえっさ えっさほいさっさ
元気なかごやだ ほいさっさ
すべっちゃいけない 丸木橋
そらそら小石だ つまずくな
ソレ やっとこどっこいほいさっさ
ほーいほいほい ほいさっさ
(四)
えっさえっさ えっさほいさっさ
のぼってくだって ほいさっさ
ちらちらあかりは 見えるけど
向こうのお山は まだ遠い
ソレ やっとこどっこいほいさっさ
ほーいほいほい ほいさっさ




昭和13年1938年発表の作品。
海沼実氏と聞けば童謡作曲家とすぐお判りでしょう。
山上武夫氏は海沼氏に勧められこの詞を書いたとのこと。
「二人で気持ちを合わせて」また「お二人の故郷の信州松本方面の山の赤い夕焼けを思い、峠の向こうのお猿は何をしてるかなあ、どこへいったかな」などの思いのうちにこの作品は生まれたのではないかと想像されています。

この時から海沼氏が亡くなるまで山上武夫氏と海沼氏師弟関係は続きました。
なんとその海沼氏が亡くなられたのは「うまれたきょうだい11にん」というお二人のコンビの作品が日本レコード大賞童謡賞を受けた時。これも日本レコード大賞のテレビ生放送がアポロ11号月面着陸記念に始まったその時だったそうです。

♪村のはずれのお地蔵さんはいつもニコニコ見てござる……「見てござる」もお二人の作品。
どれもこれも楽しい創造の世界。童謡の世界です。

語坊では「群読」で♪お猿のかごやをいたしました。
「群読」は6,7回練習しましたが歌のほうは一回で決まりました。

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絆(きずな)
作詞 藤 公之介  作曲 森田 公一


糸へんに半分と書いて 絆と読みます 
お互いに 半分ずつの糸を 結びあうからです
糸の太さは人それぞれ 顔の違いと同じです
固いか 緩いか 程々か その結び目が 大事です
君がいたから 青春だった  君がいるから あたたかい
人は誰でも そんな友達  探し求めて 旅をする

にんべんに半分と書いて 伴うと読みます
人はみな 半人前が二人 道づれだからです
一人でできる ことと言えば 互いに たかが 知れてます
一人の旅より 二人旅 触れ合う肩が 語り合う
君がいたから 青春だった  君がいるから あたたかい
人は誰でも そんな友達  探し求めて 旅をする

君がいたから 青春だった  君がいるから あたたかい
人は誰でも そんな友達  探し求めて 旅をする



人は神様からこの地の管理を任されていると聞きます。

しかしなかなか。

このところの自然災害は人災も絡まってなんとも「はて」とつぶやくこと多し。

その折々に「絆」という言葉を聞きます。

大切な言葉です。

あげましたこの歌、1981年にダークダックスが歌いました。ほぼ半世紀前!?

一人一人の人生航路に「糸へんに半分」たいせつ。



「こういう『絆』という歌を僕は知っているよ。僕はこういう歌をみんなと歌っていきたいんだ」と

80歳を超えた合唱指揮者の先生が歌って聞かせてくださいました。



作詞の藤公之介氏は1941年宮城県塩釜市生まれ。詩、小説、脚本、演出、ドキュメンタリー作家などの顔を持つと紹介文にあり。

藤公之介ワールドとくくられる世界が世に流布されており、人生に生きがいをあたえてくれ、中高年世代、また挫折しかけている人たちに「人生これからだ!」と

勇気元気をそそいでくれるのが「歌の力」とおっしゃいます。



作曲の森田公一氏は1940年北海道留萌のお生まれ。「ひなげしの花」「ひとりじゃないの」「時代おくれ」「天使のくちびる」「あの鐘を鳴らすのはあなた」等

の作品あり。アグネス・チャン、天地真理、河島英五、桜田淳子、和田アキ子でなくても皆さん歌えるのではないでしょうか。大層広まった歌たちの作者です。

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春のそよ風
保富庚午(ほとみこうご) 訳詩 スウェーデン民謡

春の風 優し歌 山に野に振りまく
せせらぎは 休みなく 戯れて踊るよ
おお 嘆くなわが胸 笛の音は消えても
丘の上 谷あいに 歌は響く

春の風 爽やかに おとめごの髪なで
せせらぎは さまよいの旅の果てあこがる
おお 歌えよわが胸 笛の音は消えても
丘の上谷あいに 歌は響く



立春を過ぎ、「春が来る!」
「春」
どんな春を描いているのでしょう。

その「春」に描かれる中に希望と期待がありますか。
燃え上がる笑顔。
ここまでの事どもに別れもあったりして。
何やら過去への後悔、喪失感、未来への一抹の不安感も。

自身の「人生の春」「今年の春」の「春」
「笛の音」って何でしょう。
「消えても」歌は響く・・・・・・

自然災害、戦争、続く感染症、為政者の人たちの騒ぎ。
ただただ平安を祈ります
なんだかこの時期は毎年「鬱」傾向になる気がします。
「こころは燃えていても肉体は弱い」と聞きます。

2014年3月にもこの歌掲載していました。
菜の花をバックにととりどりの花が音符に入って踊っている写真とともに。
いまこちらは梅の花、桜が満開。
メジロと鶯のなく音が清らかに高らかに響いています。

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