語坊|ユファン

横須賀・三浦を中心に活動する朗読ユニット「語坊(ユファン)」のウェブサイトです。

カテゴリ: 歌は語る

uta_202310

からすの赤ちゃん
海沼 実 作詞・作曲

からすの赤ちゃんなぜ泣くの 
こけこっこのおばさんに 赤いお帽子ほしいよ 赤いお靴もほしいよ と
かあかあなくのよ

めえめえ山羊さんなぜ泣くの 
お里のかあさんに おねむになったよ 甘いおっぱい頂戴ね と
めえめえなくのね

迷子の鳩さんなぜ泣くの
みみずくおじさんに 夜道は怖いよ ほうずき提灯かしとくれ と
ほろほろなくのね

狐の赤ちゃんなぜ泣くの
三日月おばさんに 木の葉でかんざし買っとくれ 
小石で花ぐし買っとくれ  と 
こんこんなくのね




童謡ですね。
「音羽ゆりかご会」の創設者でもある海沼 実氏の作詞。
おもに作曲家として功績ありの方。
詞まで作ったのは行きがかり上ということであったとか聞きますが、そこは童謡を育てられた方、こんなお歌ができました!ということでしょうか。
詩人の三苫やすし(1910-1949)というかたの「なぜ啼くの」という作品に惹かれて作られたとか。それもご自身の曲を没にすることの無いために。
なかなかしたたかな裏話があるそうです。
三苫やすし氏の作品では、まず「からす」そのあと、「田圃の蛙」「牧場の子馬」「かわいいお人形」の「啼き」が続きます。

海沼 実氏は1909年(明治42年)1月31日生まれ、1971年(昭和46年)6月13日亡。
多くの童謡を残されました。

「この歌を聞くと涙が出る。なかなか聞かなくなったけど、聞きたい歌いたい歌なの」と
リクエストがありました。
「なぜ啼くの?」
仲よし生き物たちの声をよく聴き、書いていくのも一興でしょうか。

uta_202309

忘れな草をあなたに
木下龍太郎 作詞 江口浩司 作曲

別れても別れても 心の奥に
いつまでも いつまでも
憶(おぼ)えておいて ほしいから
幸せ祈る 言葉にかえて(添えて)
忘れな草を あなたに あなたに

いつの世もいつの世も 別れる人と
会う人の 会う人の
運命(さだめ)は 常にあるものを
ただ泣きぬれて 浜辺に摘んだ
忘れな草を あなたに あなたに

喜びの喜びの 涙にくれて
抱(いだ)き合う 抱き合う
その日がいつか 来るように
二人の愛の 思い出そえて
忘れな草を あなたに あなたに




懐かしい歌でしょうか。
何人もの方が歌って世にあります。
世に出ぬ者でも合唱したり鼻歌だったり口遊んだり、歌わせられたり・・・・・・きいたり。

作詞の木下龍太郎氏は1938年栃木塩谷郡舟生村(しおやぐんふにゅうむら)に生まれました。
氏の卒業した小学校の先輩に作曲家船村徹氏が居られたそうです。そこで、志すものが生まれたとのことです。
昭和37年、1962年に銀ブラ中、見かけた洋画の看板「夜をあなたに」の「・・をあなたに」のフレーズが気に入り詩想を練ったそうです。詩人はいつも学ぶのですね。常には「歌は3分のドラマである。聞いたり歌ったりする時、絵がでてくるように心がけている」と何かに書かれていました。
江口浩司氏は神田の生まれ。お父さまは海軍軍楽隊で活躍なさっておられたと。ご自身も海軍兵学校へ入学され、のち音楽の道に入られました。「下町の太陽」ご存知でしょう。♪したまちのそらにかがやくたいようは…これもよく巷に流れました。この曲の作曲者でもあります。

して、「忘れな草をあなたに」発表のきっかけは江口氏から。
ヴォ―チェ・アンジェリカという6人の女声重唱グループが歌う曲を探していたところ、
江口氏が「こんなのあるよ」とだされたのがこの曲。木下氏が温めていた「・・・をあなたに」は、「忘れな草をあなたに」となって見事誕生していたのです。昭和38年の事でした。ヒット!

「・・・をあなたに」もさることながら「忘れな草」も趣のあることです。
「忘れな草」にまつわる伝説。ドナウ川ほとりで恋人ベルタに小さな青い花をささげようとして手を伸ばし足を滑らせ急流に落ちてしまう騎士ルドルフ。彼の最後の言葉が、Vergiss-mein-nicht!(僕のことを忘れないで) forget-me-not。
ベルタはその花にフォーゲット・ミー・ノット忘れな草と名づけ彼の墓に手向けたと。
花言葉は真実の愛、友情。フランスではズボンのポケットに入れていると幸運が来、ドイツでは左わきの下に挟んで歩くと未来の配偶者の名前が教えられると言われてもいるとか。

uta_202308

おまえに
岩谷時子 作詞 吉田正 作曲

そばにいてくれる だけでいい だまっていても いいんだよ
ぼくのほころびぬえるのは 同じ心の傷を持つ
おまえのほかに 誰もない  そばにいてくれる だけでいい

そばにいてくれる だけでいい 泣きたい時も ここで泣け
なみだをふくのは僕だから 同じ喜び 知るものは
おまえのほかに 誰もない  そばにいてくれる  だけでいい

そばにいてくれる だけでいい 約束をした その日から
遠くここまで来た二人 同じ調べを 唄うのは
おまえのほかに 誰もない そばにいてくれる だけでいい



1947年発表の歌謡曲。
歌い手は"低音の魅力"がキャッチフレーズのフランク永井。
♪あなたを待てば雨が降る ぬれて来ぬかと気にかかる・・・・・・
その一連の男女のムードの物語か

そうでないとするとどういう物語が出来上がるのでしょう。
「そばにいてくれる だけでいい 」
それだけでいいのです。
そう言っているのだから。

沈黙が怖いとばかりしゃべりだす。

詞を書いた岩谷時子氏
文字の間、文字に潜ませたものは何でしょう。

会話として聞こえる言葉にはもとより、聞こえない言葉に入っている心根、たましい。
むしろこちらを大切にそして感じとれる力の欲しいこの頃です。

人間関係と総称されるなかにいつも置かれているもの。
すべての人にあると聞いていますが。

暑い日々が続いています。
大きな葉に隠れて青い小さなイチジクの実が見えます。
昔の人はイチジクの木の根方で学び、思索したとか。
暑い。
日々木蔭にひとり「すべて心に納める」ようなひと時が与えられますように

uta_202306t

ゆりかごの唄
北原 白秋 作詞 草川 信 作曲

ゆりかごの唄を カナリヤがうたうよ
 ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
ゆりかごの上に 枇杷の実が揺れるよ
 ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
ゆりかごの綱を きねずみが揺するよ
 ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
ゆりかごの夢に 黄色い月がかかるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ



枇杷の実が熟れるこの頃。
我が家の周りのお庭や空き地にたわわにかわいい黄色の実がなっている。
「ちょっと失礼」と手を伸ばしたくなるが、残念なり。
身も届かず、心もざわざわ。
気の騒ぐ食べ物です。
八百屋さんの店先の箱の中の実には横眼が行くだけなのに。

そしてきねずみも、ついこの間まで我が家の側の林の一角には住んでいた。
5,6匹の家族か兄弟。
倒木の上を走り回ったり、まっすぐ垂直に立っている木をツイーと登って行ったり、
緑の下草の上をはしりまわっていたり。
それは尾っぽの長いねずみ。リスというなかれ、きねずみ。

白秋の、言葉の、映像のきらめき、詩人の感性。
カナリヤも、月もきいろ、枇杷はもとより。

この夕べ、こんな場所で、ゆりかごにゆられてみたい。

7月、白秋追慕の「白秋祭」の頃にはいつも思い出す一曲。
保育園の子たちも大好きで、記念祭には必ず聞かせてくれる。



*実は―我が家の側の林に住む「きねずみ」たち。歌は全部黄色なのに、なんか違う。
「たいわんりす」かもしれない。大いにあり得る。

uta_202305

誰か故郷を想わざる
西条 八十 作詞  古賀 政男 作曲


1 花摘む野辺に  日は落ちて みんなで肩を 組みながら 唄をうたった帰り道
  幼なじみのあの友 この友  ああ たれか故郷を 想わざる 

2 ひとりの姉が 嫁ぐ夜に 小川の岸で さみしさに 泣いた涙の なつかしさ
  幼なじみのあの友 この友  ああ たれか故郷を 想わざる 

3 都に雨の 降る夜は 涙に胸も しめりがち とおく呼ぶのは たれの声 
  幼なじみのあの友 この友  ああ たれか故郷を 想わざる



「花摘む野辺に・・・・・・」で浮かんできたこの歌。
朝の散歩みち、緑に敷き詰められた小草の中、たんぽぽ、クローバーに混じってアカバナ、ブタクサ。
摘み草したい花々が散らばっている。
たんぽぽの黄色、クローバーの白、アカバナの濃いピンク、すっと伸びた針金のような緑の茎の上に咲くブタクサの黄色。
もう夏が来たのだと暦にいう立夏。
緑の中の色とりどりが心湧きたつ。
少し目を上げるとそこにも緑。
あるのは白く小さい真ん丸蕾の卯の花の房ふさ。

この歌はさみしい歌。
古賀政男が7歳から明治大学予科に入るまで過ごした朝鮮時代の様子を、西条八十に話したところ出来上がった歌とか。
戦争時代によく歌われたとも聞くが、「幼なじみのあの友 この友  ああ たれか故郷を 想わざる」
いつの世も人は「幼なじみのあの友 この友  ああ たれか故郷を 想わざる」。
そして故郷は「咲く花」と「歌」。

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