語坊

横須賀・三浦を中心に活動する朗読ユニット「語坊(ユファン)」のウェブサイトです。

カテゴリ: 歌は語る

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楽曲 小鳥の歌
与田準一 作詞  芥川也寸志 作曲

小鳥はとっても 歌がすき
母さん呼ぶのも 歌でよぶ
ピピピピピ
チチチチチ ピチクリピイ

小鳥はとっても 歌がすき
父さん呼ぶのも 歌でよぶ
ピピピピピ
チチチチチ ピチクリピイ

この小鳥さんは誰でしょう。
おうちで飼われている小鳥さんの気がします。
ピピピピピ チチチチチ ピチクリピイ がひらがなで表記されているのもあります。
まず歌ってみましょう。
どんなお顔で歌っていますか。
笑顔でしょう?
1952年発表の童謡です。

作曲家芥川也寸志氏は芥川龍之介の三男。長兄比呂志、次兄多加志。
与田氏より20年あとの1925年に生まれ1989に亡くなっている。
管弦楽から合唱曲から放送音楽から舞台音楽から器楽曲から童謡他と多岐にわたって作曲家として活躍、
並んでお話も書き物も重ねて言わせていただけば容姿も人をひきつけられた方。
1950年発表の♪きゅっきゅっきゅうとくつをみがこうとよく歌った「きゅっきゅっきゅう」という相良和子作詞の曲もこの方のもの。


与田準一氏は福岡山門の生まれ。「山門」!?こう聞けばあれ、あの方とお知り合い?と推測なさるあなたは只者ではない!!
「山門」と書いて「やまと」と読む大好きな故郷を、「わが産土(うぶすな)」と歌い始め、
「故郷やそのかの子ら、皆老いて遠きに、何ぞ寄る童ごころ」と最後を収める「帰去来」の作者北原白秋、あのひと。

ご推察の通り、「赤い鳥」に投稿していた代用教員時代に北原白秋のお声がけで「赤い鳥」編者となるべく上京。
童謡のみならず、少年詩も、そして新美南吉など書き手に出版の機会をとも励まれた。

1905(M38)年6月25日生まれの氏は第2次世界大戦中故郷へ疎開、戦後42歳の時再び上京。
東京都三鷹市に住まわれ1997(H9)年2月3日91歳で亡くなられた。
「まりーちゃんとひつじ」など翻訳もなされ、日本女子大学児童科講師も勤められた。
岩崎京子、あまんきみこ、生源寺美子、宮川ひろの方々はその折の教え子と。

ちなみに、「ブルーシャトー」「ブルーライトヨコハマ」「銀河鉄道999」他多々ヒット曲の作詞者橋本淳氏はご子息、また娘さんはドイツ文学者であられると。

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歌劇「蝶々夫人」より ある晴れた日に
堀内敬三 訳   プッチーニ 作曲

ある晴れた日 遠い海のかなたに煙がたち 船がやがて見える
真白い船は 港に入り 礼砲を打つ 
御覧 あの人よ
だけど迎えにゃいかない

近くの岬に出て そこで あの人を待つのよ いつまでも
港の町を離れて 人の姿が山を登ってくる
あれはどなた?
登りつめれば 何をいうでしょう
遠くから「バタフライ」と呼ぶのよ
答えずに 私は隠れましょう
さもなけりゃ・・・・・・・
嬉しさに死ぬかもしれない

するとあの人は私を呼びます
「かわいい奥さんオレンジの花」ちょうど昔よく呼んだように
きっといつかこうなるの だから泣いちゃいやよ 
あの人は帰る  ほんとよ

歌劇の舞台は長崎で、ヒロイン蝶々さんのお相手はアメリカ海軍士官ピンカートン。
蝶々さん15才での出会い。うれしき楽しき生活は続かず彼は帰国してしまう。
3年後に戻ってきますが傍らには夫人。お別れです。
鎹のはずのお子はピンカートンの手元へ。
この後の蝶々さんいかがなったか、ずいぶんなお話ですが・・・・・・

アリアです。
蝶々さんが歌うのです。
高ーい声で。
♪あ~る はれたーひー
ピンカートンは帰ってくるわと、健気に待つ決意をし再び出会える場面を想像して、歌います。
その時の蝶々さん自身の心を。
夢中で、ありったけの思いを、ありったけの声で歌います。
「ある晴れた日に」は歌劇「蝶々夫人」の中からとりだされた一曲です。

訳詞の堀内敬三氏(1897.12.6-1983.10.12)は、浅田飴の堀田伊三郎氏の三男。工学博士。
ですが、洋楽の発展に尽力されました。訳詞、作詞作曲、評論、教育にと。
訳のついた耳なじみの曲には、「春の日の花と輝く」「眠りの精」「遠き山に日は落ちて」「私の青空」等々。あの美しい「冬の星座」は作詞です。この作曲者はウイリアム・シェイクスピア・ヘイスで、この方は1837年に生まれ1907年に亡くなっています。

プッチーニについても一筆。
「蝶々夫人」の作者プッチーニはジャコモ・アントニオ・ドメニコ・ミケーレ・セコンド・マリア・プッチーニといい1858年12月22日生まれ、1924年11月29日亡。癌によりと記されています。
イタリアのオペラ作家。「ラ・ボエーム」「トスカ」「トゥーランドット」他有名です。
お写真からは、口髭を蓄え、髪型はオールバック、ダブルのスーツで、ザ・イタリアを感じます。
初代がトスカーナのチェッレからルッカに移住。後、宗教音楽家を輩出。
五代目の彼は14才で教会のオルガニストとなりましたが後オペラに魅入られ力を注いだ。
今、ルッカにある彼の生家はプッチーニ博物館になっているそうです。

五月、宇宙ステーションに滞在の飛行士の方々や、オリンピックのゼウス神に意識は向かいもしましたが、今この地上の現状から受け止めた曲は、「ジュピター」。
ジュピターは木星の事です。

グスターブ・ホルスト(1874/9/21-1934/5/25 イギリス生まれ)は、管弦楽のための組曲「惑星」を作曲しました。2年かけてといわれています。

地球を除いた太陽系の6つ惑星、戦いをもたらす火星、平和をもたらす金星、翼のある使者の水星、快楽をもたらす木星、老いをもたらす土星、魔術師天王星、神秘主義者海王星という、夫々の惑星の持つ意味を表現し、組曲として作り上げたと聞きます。
その中、第4番目に作られたのが、太陽系最大の惑星の「ジュピター(Jupiter the Bringer of Jolity)」。
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ある時、外交官であったセシル・スプリング・ライスの詩に曲を付けよという時、ジュピターの一部をホルストは用いました。
ライスの詩は第一次世界大戦後、失われた祖国、犠牲者への愛を主題にしたもので「I vow to thee、my country(祖国よ、我は汝に誓う)」と歌いだされます。
好評を得て「イギリスの愛国歌」となります。
更に、この使用された部分はイギリス国教会聖歌としても用いられ、故に独立した曲のように「サクステッド」ともよばれるようになったとか。

ダイアナ妃お気に入りの曲でもあり、ラグビーワールドカップのテーマソングにもなってい、スケーター浅田真央さんはある時のエキシビションで、この曲にのり演技しましたと。

分類された「サクステッド」に則して「ジュピター」として日本語でも詩がつけられました。「教会福音讃美歌245番」にも使われています。

日本での「ジュピター」の詞は岩谷時子氏、吉本由美氏の作品をよく耳にします。
岩谷時子氏の「ジュピター」は・・・・・・
楽曲「ジュピター」
グスターブ・ホルスト 曲

あたしに涙ふかせて 泣きたいときには泣きましょう
かなしみ知らない人はいない  嘆き 乗り越えて生きていくの

空を見上げて船を出しましょう しぶきあげながら 空見あげよう
はるか彼方に星がある 闇に隠れてるあの星こそ
暗い夜 空の王様 あなたを守る星よ 木星ジュピター 

やがて明るい朝が訪れ 地球の上の夜が明けるわ 
あなたは微笑み浮かべ あしたから新しい人生よ

かなしみ知らない人はいない 嘆き 乗り越えてゆく 
平和な世界を みんな手をつないで 生きて行こう

(岩谷時子 詞)


「教会福音讃美歌245番」は「どんな人生に出会うとしても勝利を望み 忍び耐えて、神に心高くあげ、喜び仰ぎつつ賛美します」というような内容の歌詞です。


昼は新緑の中、夜は天を仰ぎつ、日々の営みに平安の在らんことを願ってやみません。

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楽曲 「若い力」
佐伯孝夫 作詞   高田信一 作曲

若い力と感激に 燃えよ若人胸を張れ
歓喜あふれるユニホーム 肩にひとひら花が散る
花も輝け希望に満ちて 競え青春 強きもの

薫る英気と純情に 瞳明るいスポーツマン 
僕の喜び君のもの 上がる凱歌に虹がたつ 
情け身にしむ熱こそ命 競え青春 強きもの


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赤い松明と青い周りの線のシンボルマークとともに制作された


「国民体育大会歌」です。
1947年第2回国民体育大会が石川県で開催されたとき発表されたそうです。
歌うと・・・・・元気が出ます!
当事者としてはいわずもがな、時を経て応援者、お手伝いとしても、観客としても。

作曲の高田信一氏(たかたしんいち/1920.1.24-1960.1.16)は、成城小入学、後東京芸大へ。
小学校入学時からピアノを始め、大学では作曲を学び、長く続いている日本音楽コンクール     
第10回の作曲の部で第2位受賞。
その後、作曲家、指揮者として歩まれ、大学教授でもあられたとのこと。

作詞の佐伯孝夫氏(1902.11.22-1981.3.18)は本名は和泉孝夫。早稲田大学仏文科在学中には、
西條八十に師事したそうです。卒業後東京新聞社、のちに毎日新聞社へと奉職。
1939年ビクター専属の作詞家に。
曲がついて歌手に歌われ、巷に流布した作品の多々ある中には「新雪」「鈴懸の道」「有楽町で逢い   
ましょう」「潮来笠」「寒い朝」等々。皆様も御存知では。
~オンヤこの歌も~ と懐かしかったのは「ミネソタの卵売り」。
♪こここここけっこー 私はミネソタの卵売り・・・・・と歌います。元気が出ます、笑顔も!   

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楽曲「山のロザリア」
作詞 丘灯至夫  ロシア民謡
  
1 山の娘ロザリア いつも一人歌うよ 青い牧場日暮れて 星の出るころ
 帰れ帰れも一度 忘れられぬあの日よ 涙ながし別れた 君の姿よ

2 黒い瞳ロザリア 今日も一人歌うよ 風に揺れる花のよう 笛を鳴らして
 帰れ帰れも一度 やさしかったあの人 胸に抱(だ)くは遺身(かたみ)の銀のロケット

3 一人娘ロザリア 山の歌を歌うよ 越えは甘く哀しく 星もまたたく
 帰れ帰れも一度 命かけたあの日よ  移り変わる世の中 花も散りゆく

4 山の娘ロザリア いつも一人歌うよ 青い牧場小山羊も 夢を見るころ
 帰れ帰れも一度 忘れられぬあの日よ 涙ながし別れた 君の姿よ


ロシア民謡とあるので、何とはなし物悲しい曲です。

春はすでに立ち、日足は伸び、残る冷たさの中にも、ふっと流れる風に「はる」。の「いま」
 
この歌の設定の中に立ち、くちずさむとあなたに去来するものは・・・・・・

歌っているのは男性でしょう。
いいえロザリアよ。
それとも過去をいっぱい持った方かたかしら。
それにしてもなぜかしら。
涙が出てくるのは。

ロシア民謡と表記の原曲は「アレクサンドロスキー」という名のフォークダンスの曲。

丘灯至夫氏、♪赤い夕陽が校舎を染めて・・・ぼくらフォークダンスの手を取ればと歌う「高校三年生」の作詞者。1917/2/8生2009/11/24亡。福島県生まれ。
幼少時よく温泉療養に行くためにのった列車を思い出し「高原列車は行く」の作詞も。

夕方牧場

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