語坊|ユファン

横須賀・三浦を中心に活動する朗読ユニット「語坊(ユファン)」のウェブサイトです。

カテゴリ: 歌は語る

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春のそよ風
保富庚午(ほとみこうご) 訳詩 スウェーデン民謡

春の風 優し歌 山に野に振りまく
せせらぎは 休みなく 戯れて踊るよ
おお 嘆くなわが胸 笛の音は消えても
丘の上 谷あいに 歌は響く

春の風 爽やかに おとめごの髪なで
せせらぎは さまよいの旅の果てあこがる
おお 歌えよわが胸 笛の音は消えても
丘の上谷あいに 歌は響く



立春を過ぎ、「春が来る!」
「春」
どんな春を描いているのでしょう。

その「春」に描かれる中に希望と期待がありますか。
燃え上がる笑顔。
ここまでの事どもに別れもあったりして。
何やら過去への後悔、喪失感、未来への一抹の不安感も。

自身の「人生の春」「今年の春」の「春」
「笛の音」って何でしょう。
「消えても」歌は響く・・・・・・

自然災害、戦争、続く感染症、為政者の人たちの騒ぎ。
ただただ平安を祈ります
なんだかこの時期は毎年「鬱」傾向になる気がします。
「こころは燃えていても肉体は弱い」と聞きます。

2014年3月にもこの歌掲載していました。
菜の花をバックにととりどりの花が音符に入って踊っている写真とともに。
いまこちらは梅の花、桜が満開。
メジロと鶯のなく音が清らかに高らかに響いています。

uta_202312

きよしこの夜
後藤 六郎 作詞  グルーバー・フランツ・カーバー 作曲

きよしこの夜 星は光り    
楽しい集いに  ささやきかけるよ  
喜びの歌  こよい歌えと

きよしこの夜 星は光り    
まどべにやさしく ほほえみかけるよ
安らかな夢 今宵むすべと




  オーストリアのオーベルドルフで小学校教師、聖ニコラウス教会でオルガン奏者をしていたグルーバー(1787/11/25~1863/6/7)が1818年のクリスマス間近の大変な時にオルガンがこわれ、ギターで歌える曲として急遽作った。詞は、ヨセフ・モーア司祭のものでという経緯がこの「きよしこの夜」誕生譚のほぼ定説となっています。
 グルーバー先生のお父さんは機織り職人で、グルーバーは隠れてピアノを習っていたとか。神様は選びました。彼が12歳の時、習っていた先生が倒れ代役を務めたのです。それからは音楽の道へ歩め、この歌の作曲者になりました。
 「きよしこの夜」が広がっていったのは、オルガンを直しに来た技師が、オルガン調整に各地の教会をまわるたびに伝え、人気になっていったということです。
 長く歌ってこられたのは詞もさることながら、曲想から多くの詩が生まれてもいるからでしょう。
日本では由木康氏が詞をつけた賛美歌109番がよく歌われます。

1きよしこのよる 星はひかり  すくいのみ子は まぶねの中に  ねむりたもう いとやすく
2きよしこのよる み告げうけし  まきびとたちは み子の御前に ぬかずきぬ かしこみて
3きよしこのよる み子の笑みに めぐみのみ代の あしたのひかり かがやけり ほがらかに

この歌が描く時を一人一人祈り、こころがつながってゆきますように
2023年クリスマスをむかえる時にあたり切に祈ります

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uta_202310

からすの赤ちゃん
海沼 実 作詞・作曲

からすの赤ちゃんなぜ泣くの 
こけこっこのおばさんに 赤いお帽子ほしいよ 赤いお靴もほしいよ と
かあかあなくのよ

めえめえ山羊さんなぜ泣くの 
お里のかあさんに おねむになったよ 甘いおっぱい頂戴ね と
めえめえなくのね

迷子の鳩さんなぜ泣くの
みみずくおじさんに 夜道は怖いよ ほうずき提灯かしとくれ と
ほろほろなくのね

狐の赤ちゃんなぜ泣くの
三日月おばさんに 木の葉でかんざし買っとくれ 
小石で花ぐし買っとくれ  と 
こんこんなくのね




童謡ですね。
「音羽ゆりかご会」の創設者でもある海沼 実氏の作詞。
おもに作曲家として功績ありの方。
詞まで作ったのは行きがかり上ということであったとか聞きますが、そこは童謡を育てられた方、こんなお歌ができました!ということでしょうか。
詩人の三苫やすし(1910-1949)というかたの「なぜ啼くの」という作品に惹かれて作られたとか。それもご自身の曲を没にすることの無いために。
なかなかしたたかな裏話があるそうです。
三苫やすし氏の作品では、まず「からす」そのあと、「田圃の蛙」「牧場の子馬」「かわいいお人形」の「啼き」が続きます。

海沼 実氏は1909年(明治42年)1月31日生まれ、1971年(昭和46年)6月13日亡。
多くの童謡を残されました。

「この歌を聞くと涙が出る。なかなか聞かなくなったけど、聞きたい歌いたい歌なの」と
リクエストがありました。
「なぜ啼くの?」
仲よし生き物たちの声をよく聴き、書いていくのも一興でしょうか。

uta_202309

忘れな草をあなたに
木下龍太郎 作詞 江口浩司 作曲

別れても別れても 心の奥に
いつまでも いつまでも
憶(おぼ)えておいて ほしいから
幸せ祈る 言葉にかえて(添えて)
忘れな草を あなたに あなたに

いつの世もいつの世も 別れる人と
会う人の 会う人の
運命(さだめ)は 常にあるものを
ただ泣きぬれて 浜辺に摘んだ
忘れな草を あなたに あなたに

喜びの喜びの 涙にくれて
抱(いだ)き合う 抱き合う
その日がいつか 来るように
二人の愛の 思い出そえて
忘れな草を あなたに あなたに




懐かしい歌でしょうか。
何人もの方が歌って世にあります。
世に出ぬ者でも合唱したり鼻歌だったり口遊んだり、歌わせられたり・・・・・・きいたり。

作詞の木下龍太郎氏は1938年栃木塩谷郡舟生村(しおやぐんふにゅうむら)に生まれました。
氏の卒業した小学校の先輩に作曲家船村徹氏が居られたそうです。そこで、志すものが生まれたとのことです。
昭和37年、1962年に銀ブラ中、見かけた洋画の看板「夜をあなたに」の「・・をあなたに」のフレーズが気に入り詩想を練ったそうです。詩人はいつも学ぶのですね。常には「歌は3分のドラマである。聞いたり歌ったりする時、絵がでてくるように心がけている」と何かに書かれていました。
江口浩司氏は神田の生まれ。お父さまは海軍軍楽隊で活躍なさっておられたと。ご自身も海軍兵学校へ入学され、のち音楽の道に入られました。「下町の太陽」ご存知でしょう。♪したまちのそらにかがやくたいようは…これもよく巷に流れました。この曲の作曲者でもあります。

して、「忘れな草をあなたに」発表のきっかけは江口氏から。
ヴォ―チェ・アンジェリカという6人の女声重唱グループが歌う曲を探していたところ、
江口氏が「こんなのあるよ」とだされたのがこの曲。木下氏が温めていた「・・・をあなたに」は、「忘れな草をあなたに」となって見事誕生していたのです。昭和38年の事でした。ヒット!

「・・・をあなたに」もさることながら「忘れな草」も趣のあることです。
「忘れな草」にまつわる伝説。ドナウ川ほとりで恋人ベルタに小さな青い花をささげようとして手を伸ばし足を滑らせ急流に落ちてしまう騎士ルドルフ。彼の最後の言葉が、Vergiss-mein-nicht!(僕のことを忘れないで) forget-me-not。
ベルタはその花にフォーゲット・ミー・ノット忘れな草と名づけ彼の墓に手向けたと。
花言葉は真実の愛、友情。フランスではズボンのポケットに入れていると幸運が来、ドイツでは左わきの下に挟んで歩くと未来の配偶者の名前が教えられると言われてもいるとか。

uta_202308

おまえに
岩谷時子 作詞 吉田正 作曲

そばにいてくれる だけでいい だまっていても いいんだよ
ぼくのほころびぬえるのは 同じ心の傷を持つ
おまえのほかに 誰もない  そばにいてくれる だけでいい

そばにいてくれる だけでいい 泣きたい時も ここで泣け
なみだをふくのは僕だから 同じ喜び 知るものは
おまえのほかに 誰もない  そばにいてくれる  だけでいい

そばにいてくれる だけでいい 約束をした その日から
遠くここまで来た二人 同じ調べを 唄うのは
おまえのほかに 誰もない そばにいてくれる だけでいい



1947年発表の歌謡曲。
歌い手は"低音の魅力"がキャッチフレーズのフランク永井。
♪あなたを待てば雨が降る ぬれて来ぬかと気にかかる・・・・・・
その一連の男女のムードの物語か

そうでないとするとどういう物語が出来上がるのでしょう。
「そばにいてくれる だけでいい 」
それだけでいいのです。
そう言っているのだから。

沈黙が怖いとばかりしゃべりだす。

詞を書いた岩谷時子氏
文字の間、文字に潜ませたものは何でしょう。

会話として聞こえる言葉にはもとより、聞こえない言葉に入っている心根、たましい。
むしろこちらを大切にそして感じとれる力の欲しいこの頃です。

人間関係と総称されるなかにいつも置かれているもの。
すべての人にあると聞いていますが。

暑い日々が続いています。
大きな葉に隠れて青い小さなイチジクの実が見えます。
昔の人はイチジクの木の根方で学び、思索したとか。
暑い。
日々木蔭にひとり「すべて心に納める」ようなひと時が与えられますように

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