
うぐいす
林 柳波 作詞 井上武士 作曲
うめの こえだで うぐいすは はるが きたよと うたいます
ホウ ホウ ホケキョ ホウホケキョ
ゆきの おやまを きのうでて さとへきたよと うたいます
ホウ ホウ ホケキョ ホウホケキョ
2月28日。
語坊の里では早朝、鶯の初鳴きを聞きました。
ホウ ホケキョ ケキョ
「春だー」と思わず叫びたくなりました。
3月卒業式のシーズンには「マスクルック」も解禁になるとの報道がありました。
いよいよコロナ明けかなどとニンマリしていたら
2月の「歌は語る」を投稿しないうちに3月になっていました。
今この時お届けするのがジャスピンのこの一作。
「うぐいす」
作詞者、作曲者お二方とも群馬県人。ひょんなことからこの道に入られた御二人。
このほか♪うみはひろいなおおきいなー」と歌いだす「うみ」も。
ペアであったり、そうでないものも集めると、
おふたりにはこどもの歌「童謡」に一人歌い始めればすぐ唱和なされる作品がいっぱいです。
小学生の頃だったなーと ついおさなき頃がうかびます、結構前ですのに浮かぶのです。
赤いゴム鞠まりでまりつき。
今全然見かけません。
歌いながらまりをつくのです。
♪うーめの こえだで うぐいすが~・・・・・・
まりつき上手には早めに歌い、そうでない子の時は一語一語伸ばして伸ばして歌うのです。
なつかしや。
小学生、まして3年間でその生活が終了してしまう中学生高校生。
コロナマスク自粛生活は酷でしたね。
戦争も、地震もと大きな出来事が降りかかります。
平安あれ
うめの こえだで うぐいすは はるが きたよと うたいます
春
鶯だけでなくみんなで「春が来た」と唱和できますように
モルダウの流れ

まだまだ続く紛争?戦争!
決着のつけようもない様子。
祖国とは。
ア~だコ~だめぐらせているうちに「プラハの春」という上下巻の作品を思い出した。
春江一也という人の作品で、ボヘミヤの地と空気、時代の動き、そこに生きた人々、そして恋。
とても興味をそそる物語だった。
出てくる単語にも。
ボヘミヤ、ヴルタヴァ、百塔の町、中欧の真珠、カレル橋、チェコの首都、中世の面影が色濃く残る街、かつての城塞都市。プラハ城、ヤン・フス。
河、「モルダウ」は、ドイツ風の呼び方であり、チェコ語では「ヴルタヴァ」という。
1526年以降オーストリア支配下にあったチェコスロバキア(当時のボヘミア)は、ドイツ語が公用語とされており、スメタナは聴覚を失い、絶え間ない耳鳴りと頭痛に苦しめられるなかで祖国のために連作交響詩「わが祖国」を1879年、完成させた。彼は1824/3/2生、1884/5/12没。
ヴルタヴァ(モルダウ)は連作交響詩「わが祖国」全6曲のうちの第2曲。全6曲通しての初演は1882年11月5日、プラハにて。
第2曲、ヴルタヴァ(モルダウ)は、源流1,2~第1のヴルタヴァ~森の狩猟~村の結婚式~月の光と水の精の踊り~第2のヴルタヴァ~ヴィシェフラドの主題という構成。ヴィシェフラドの主題はボヘミアに独立と繁栄の日が来ることを願うスメタナの深い思いがこめられているという。
山奥からプラハに流れ込むヴルタヴァ。河畔の情景、流れの幅、勢いなど思い浮かぶ。
「モルダウの流れ」は、「モルダウ」の1,2の源流の部分に歌詞をつけたものときく。
いくつかの日本語歌詞があります。
その中から野上彰氏の作品を今回は提示させていただきます。
学生時代に歌われた方もあるのでは。
モルダウの流れ
野上 彰 詞 べドルジフ・スメタナの曲より
水上(みなかみ)は遠く遙か 豊かなる河モルダウよ
月影は森を照らし 秋風 岸をそよぎゆく
雁(かりがね)の声にこだまして 泡立ち流るる水の音
霧と砕け 花と散りて 流れゆけ
水上(みなかみ)遠きボヘミヤの なつかしの河 モルダウよ
舟人の歌は 星青く たゆとう波間に浮かびつつ
遠き夢の 君がもとに 流れゆけ
水上(みなかみ)遠きボヘミヤの なつかしの河 モルダウよ
広い河の岸辺

広い河の岸辺
スコットランド民謡 八木倫明 訳詞
河は広く 渡れない 飛んで行く翼もない
もしも小舟があるならば 漕ぎ出そう ふたりで
愛の始まりは美しく 優しく花のよう
時の流れに色褪せて 朝露と消えてゆく
ふたりの舟は沈みかける 愛の重さに耐えきれず
沈み方も泳ぎ方も知らない このわたし
河は広く 渡れない 飛んで行く翼もない
もしも小舟があるならば 漕ぎ出そう ふたりで
「赤毛のアン」という物語を読みました。
もう大大有名、誰もが読んだ、聞いたことのある作品と思います。
私はもちろん日本語訳で読むのですが、村岡花子の訳したもの。
そして最近「邦訳70周年記念村岡花子訳の決定版!」という可愛い感じの絵の表紙の一冊を見つけました。えー?
読み進めていくと、以前のとなんとなく違う、訳が細かく付け加わっている、漢字表記が多くなっている。
そして涙がやたらと出てくるのです。
元気がなくなってくると「赤毛のアン」どうしようかなーなんて思う問題を抱えた時も「赤毛のアン」と
大分「赤毛のアン」に援けてもらっていた私は歳を重ねた分、マリラやマシュウにも心が移っていました。
で、「広い河の岸辺」がここに登場した訳は「赤毛のアン」から村岡花子へ、村岡花子から、自伝的物語のテレビ番組へ、その挿入歌は「広い河の岸辺」だったとの一連想から。
この作品、その前のテレビ作品でも流れ、結構巷で歌われたのですね。
曲は16,17世紀ごろから編曲もなされつつ歌い繋がれていると。
詞に至っては、多国のそれぞれの原語で、意訳も含めつけられているということらしいです。
日本でもこの八木倫明氏のほか4,5人の方が詞をつけておられます。
八木倫明氏ご自身のこの詞発表前と後の人生にも興味をもたされました。
「希望の歌」である。
聞かれる方、歌う方々は涙を流しながらおっしゃる。
「希望の歌」ですと。
童神

童神(わらびがみ)
古謝美佐子 作詞 佐原一哉 作曲
天からの恵み 受けてこの地球(ほし)に
生まれたる我が子 祈り込め育て
イラヨーヘイ イラヨーホイ イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐゎ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー 太陽(てぃだ)の光受けて
ゆういりよーや ヘイヨー ヘイヨー 健やかに 育て
暑き夏の日は 涼風を送り
寒き冬来れば この胸に抱いて
イラヨーヘイ イラヨーホイ イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐゎ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー 月の光浴びて
ゆういりよーや ヘイヨー ヘイヨー 健やかに 眠れ
嵐吹きすさむ 渡るこの浮世
母の祈り込め 永遠の花咲かそ
イラヨーヘイ イラヨーホイ イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐゎ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー 天の光受けて
ゆういりよーや ヘイヨー ヘイヨー 天高く 育て
ここにあるのは「ヤマトグチ」バージョン。
「ウチナーグチ」バージョンというのもあります。
沖縄の方が作られたのです。
作詞者作曲者、ご夫婦ですと。
宝です。
子どもたち。
私たちもこうして生まれ、こうして祈り願われ育ってきたのでしょう。
誰もがこう祈られたことはあったに違いない。
「そうでない」。
そうでないところ、そうでない時代に居合わせた子たち、何処にいますか?今。
ごんなさいね。
「名前」という作品があります。
おかあさんになる、おとうさんになる二人が「生まれます!生まれます」と
走っていきます。満開の桜のアーチの下をタクシーに乗って。
二人はケンカになるほど「あなた」に名前を考えています。
まだ決まっていません。
ただ、二人ともあなたがあなたであることをあらわせたらと願っています。
という作品。角田光代さんの。
又つい最近、「今の私から過去の私へ」「今の私から未来の私へ」という手紙を
仲間たちそれぞれで書きッコしました。みんな今を「生きて」います。
「過去の私」も「未来の私」へ今を通してつながっています。
過去には感謝が、未来には希望があります。
子は希望です。
私たちも子どもですね。
あなたのおなまえはなんというのですか
希望のささやき

希望(きぼう)のささやき
津川主一 作詞 アリス・ホーソン(セプティマス・ウィナー)作曲 作詞
1.
天(あま)つみ使いの 声もかくやと
静かにささやく 希望(のぞみ)のことば
闇あたりをこめ 嵐すさめど
やがて日照りいで 雲も拭われん
ささやく 希望(のぞみ)のことば
うきにも よろこびあり
2.
あたりたそがれて 夕べ迫れば
空に見えそむる あかき星かげ
夜(よ)はいよよ更けて 心しずめど
照る日さしのぼる 朝(あした)まぢかし
ささやく 希望(のぞみ)のことば
うきにも よろこびあり
女性コーラスでは大いに歌われてきた曲。
歌う時は「ささやく 希望(のぞみ)のことば 憂きにも よろこびあり」は も一度繰り返される。
曲は1868年(いやろっぱさんめいじだよ)アメリカで出版。
アリス・ホーソン氏(1827.5.11-1902.11.22)はいくつかの筆名を持って活躍なさったとか。
原曲名は「Whispering Hope」
この「希望のささやき」には津川主一氏(1896.11.16-1971.5.3 名古屋生まれ)のほか小園凉子(おぞのりょうし)氏の詞もある。
津川主一氏は牧師、教会音楽家として、又合唱指導の第一人者として知られている。
じっくり味わってみましょう。
どんな景色が生まれますでしょう。
どんな思いが生まれますでしょう。
どんな祈りが湧き上がってくるでしょう。
150年も前から静かに歌い継がれているのですね。